みなさーん、こんにちは!
管理人の空です。
先週おとどけした「恋するティータイム PART1」はいかがでしたか~?
第一回は、
“夢見るティータイム” ⇒

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第二回は、
“恋するティータイム ⇒ 
今回は、“恋するティータイム PART2”をお届けしまーす。
この作品に対してのたくさんの感想をいただきました。
その数名の方をご紹介しますね☆
「スマイルカフェ、すごい勉強になります。”夢見る”を読んで、
「わたしもやればできる」と信じて、本当にやって、やって、やってみよう!
と思えました。“恋する”もはやく続きが読みたいです☆」
(小6 みるかちゃん)
「燿子先生が運動オンチだったっていう話読みました。私、すっごく共感しました。
なぜなら私は超がつくほど運動オンチだからです」
(高2 みらくるちゃん)
「好きになった人のことで悩んでたことがあったんですが、
恋するティータイムを読んだら、もやもやしてた心がスッキリしました!」
(中2 カノンちゃん)
「私は社会人ですが、この本は子供の本とは思えないほど、
今のわたしの心境にピッタリでした。
倉橋先生の本は、スゴイ!と感激して、今他の本もネットで取り寄せ中です☆」
(27歳 Rさん)
感想をくださったみなさん、ありがとうございました☆
小学生から社会人まで、燿子センセイの書かれる本って、年齢がはばひろいっっ。
たくさんの方に読んでいただけて、管理人の海も空も、本当にうれしいです♪
そして、なにより驚かれているのが燿子センセイでした。
「みなさんに読んでいただけて、本当にうれしい!」
と、さらに気合を入れて来年の作品にむけて、執筆をがんばっていまーす。
いつもコメント欄に遊びにきてくれているみなさんも、感想のカキコミありがとう!!
メールBOXでもお手紙でもカキコミでも、みんなからの感想、楽しみに待ってるよ★

さてさて、お待たせいたしました!
今回の「恋するティータイムPART2」では、
燿子センセイのリアルな恋バナが読めちゃう!?
ぜひぜひ、お楽しみくださいっ♪

私もかつて、友だちとおなじ人を好きになったことがあった。
最初はふたりして、
「○○くんって、ステキよねぇ」とか、
「あっ、今こっちむいたよ」とかいってもりあがっていたのであるが、
ある日のこと。
「おこらないできいてね」
彼女はこまったような、うれしいような、複雑きわまりない顔で私にうちあける。
「私のこと、好きだっていわれちゃったの。○○くんから……」
「えーーっ!! そうなの!? よかったじゃなーい」
私はさも喜んでいるふうに明るくいったつもりだったが、声は完全に裏がえり、
ほおがひきつっているのが自分でもわかった。
たぶん、うちあけた友だちにもわかったと思う。
「ごめんね。ごめんね」
きのどくそうに、彼女はくりかえす。
「何いってんの。あなたがあやまることじゃないじゃない」
などといってはみたが、気をぬくと、すぐにでも泣きだしそうな気分。
それは失恋したというショックより、私より彼女のほうがえらばれたのだという
敗北感のほうがつよかったと思う。他の人なら、まだすくわれる。
私はこの時、同時にふたつのことを乗りこえなければならなかった。
失恋のいたみと友だちへのヤキモチと……。

学校帰りに、ふたり仲よくならんで帰る姿など目にすると、やっぱりずきずき
胸がいたんじゃう。
○○くんのことも、前以上にステキに思えてくるから不思議だ。
かといって友だちと気まずい関係になるのも悲しい。
そんな複雑なゆれる自分の心を見すかされないように、私は友だちの前で
必要以上に明るくふるまう。
「ほら、○○くんがまってるよ。早く行ってあげなきゃダメじゃないのさ。
えっ? 私? 私だったら平気だってばぁ」
などと彼女の肩のひとつもたたき、
「私ってば、あきらめだけはいいほうなのよん」
と胸をはる。そのくせ夜な夜なまくらをぬらすというつらい日々をすごさなければならなかった。
○○くんのことをわすれるために、彼のいやなところばかりをさがした。
彼の言葉づかいはらんぼうだ。授業中の態度がわるい。よく忘れ物をする。
給食をがつがつ食べていじきたない。
はいているスニーカーがよごれている。字がヘタクソだ。
それから制服の着方もだらしないし、ズボンだってテカテカ光っている。
それから、それから、それでも! 
それでもステキ!
ところがある日のこと。友だちが、
「もう○○くんのことは好きじゃなくなった。
だからつきあうのもやめにした」
ということをうちあけた。○○くんは、フリーになったのだ。
「へぇ……」
などとききながらも、私の心はちっとも浮いてこない。
それどころか、この瞬間から私の○○くんへの思いも、潮がひくようにさめてしまった。
つまり、私の○○くんへの思いは、友だちのほうがえらばれたという事実によって、
より加速されていたのだった。
彼は友だちのモノだと思えばこそ、よけいに愛しさがこみあげてくる。
ほら、よくあるでしょ。
買い物に行って、一枚しかなかったセーターを、ジャンケンで勝った友だちが買ったとする。そうしたらなぜかそのセーターは、実際よりもとてもよく見えて
(もしかしたら自分ひとりだったら買わなかったかもしれないのに)、どうしてもほしいって思ったりするってこと。そういうことだった気がする。
「なぁんだ」
って思ったら、つきものがおちたみたいにスッキリして、友だちともまた、何もなかったようにつきあうことができもした。

恋って、ほんとにミステリーだと思う。
自分の心も相手の心もよくわからない。そしてそれまで知らなかった自分のいろいろな感情も見せてくれる。だから恋をすると、いろんなことがわかってきたりもする。
恋はつぎつぎにミステリーを解きあかしてくれるステキな冒険のようなもの。
恋をすることがステキなのは、けっして両思いになるってことじゃなく、恋をしてはじめて知る自分自身を見つめること。いいところもわるいところもふくめて、自分のことを知る。
自分のことを知ってはじめて、もっとステキになること、そのために努力することもできるから。
私の場合も、友だちが○○くんにえらばれたことを知り、友だちのことがうらやましくてしかたなかった。その気持ちが、○○くんをよりよく見せていた。つまり友だちへの対抗意識だったってことなんだよね。
なんて心がせまかったんだろう。なさけなくもはずかしい。
この体験により、私は友だちのことをうらやましいと感じた時、たとえそれが恋でなくても、その気持ちを見すごしにせず、ちゃんと見つめることで、克服しようとちかった。
友だちの幸せを心から喜ぶことは、その人が親しければ親しいほど、場合によっては、とってもむずかしい。
たとえば、いっしょに第一志望の学校を受験して、友だちは合格し、自分は失敗したとする。
それでも心から「よかったね」っていえるかどうか……。
もちろんすぐにはいえなくっても、少し時間がかかっても、いつか必ずいえると……いいね。

恋をして、注意したいことのひとつに、何かをしてあげたくなるという気持ちがある。
何かをしてあげる、何かをプレゼントする――それはそれでステキなことだけれど、何となく、とてつもなく自分がいいことをした気分になってくる。
たとえば夜をてっして、心をこめて、大好きな彼のためにマフラーをあんだとする。
できあがりは今ひとつだが、まぁそれは愛嬌というもの。
ところが、そんな苦心のマフラーをプレゼントしたのに、彼がそれをしたところを見たことはいちどもない。
彼がうれしそうに、そのマフラーをして歩くところを想像しながらあんだ自分としては、やっぱり悲しくなってくる。そしてその悲しみは、いつしか自分を悲劇のヒロインへとおしあげる。
「私は夜もあまりねむらずに、一所懸命マフラーをあんであげたのに、彼ったらとってもつめたい人だわ」
そうぐちりたくもなり、涙のひとつもこぼれてくる。
けれども贈られた彼のほうにしてみれば、
「おれ、べつにあんでくれってたのんだわけじゃないんだけど」
と思っているかもしれないし、
「たしかにうれしいとは思うけど、いくらなんでもこんなにあみめがぐちゃぐちゃじゃあ、はずかしくってできないよな」
と思っているかもしれない。

心をこめること、一所懸命になること――そのこと自体はすばらしいけれど、それを相手におしつけた時、悲しくもそれはべつのものに変化してしまう。
私はこうしてあげた、それなのに、何もしてくれない。
こういう言葉は、つい口にしてしまいがちなだけに、とっても気をつけたいフレーズであることをおぼえておこう。
そしてこの言葉は、片思いの時より両思いになってからのほうが、なぜかより多くつかわれるような気がする。
片思いの時は、彼がチラッとでも自分のことを見てくれるだけで幸せだったのに、両思いになったとたんに、相手に対する期待や要求が多くなってしまう。
片思いの気持ちがせつなくとも美しいのは、相手に対する直接的な要求がほとんどないからだ。
そんないじらしい気持ちに心うたれてふりむいた彼は、
「私はこうしてあげてるのに、どうしてこたえてくれないの」
などといわれたら、キツネにつままれたみたいに、びっくりしてしまう。

もちろん恋だけでなく、すべての人間関係においてもいえることだけれど、自分の気持ちは、たとえそれがどんなに美しいものであろうと、他人におしつけるものでは絶対にない。
特に恋は、あくまで能動的なもの。「自分がこうしたいからする」のだ。
自分がマフラーをあむのは、自分がそうしたかったから。
少しでも彼に、寒い北風をふせいでもらいたいと思ったから。
だけどもしも彼がそれをしてくれないとしても、それは彼の自由なのだ。
せめてそのくらいの心意気はもっていたいよね。
人と人との関係は、必ずしもGIVE&TAKEとはかぎらない。
あたえるだけの時もあれば、うけるばかりの時もある。
けれども長い目で見た時、気がつけばあたえただけのものはかえってきていたりする。
いつもいつも見かえりを要求している時は、ほんとは何もあたえてはいないし、だからこそかえってくるものも少ない。
一所懸命の押し売り、やさしさの押し売り、心の押し売りは、自分自身をバーゲンセールにしているってことをおぼえておこうね。
それにしても、恋してる女の子はほんとうにキレイだ。
彼にふりむいてもらいたいからキレイになろうっていう願いもつよくなり、その一心で髪もあらいあげれば、スカートのひだも気にしたりする。
コロンくらいつけたくなっちゃったりもする。
だけど、恋してる女の子がキレイなのは、ほんとはそんなことじゃない。
たとえば、恋の歌をきいてごらん。
今までは何げなく耳にしていた歌の中の言葉が、ずんずん心にしみてきたりする。
甘く哀しいメロディに、思わずふっと涙ぐんだりもする。
学校のろうかで、ばったりと彼にであった時、心は喜びにみちあふれる。
それだけでもう、その日がとっても幸せな気分になる。
もし彼がスポーツクラブにでもはいっていたら、それまでルールさえ知らなかったスポーツのことが、とってもとってもくわしくなったりもする。

恋したら、世界がちがって見えるのだ。
おなじ恋するなら、がぜん世界がちがっちゃうくらいの恋をしてほしいなって思う。
それこそが冒険、アドベンチャー。
そうなってはじめて、毎日がいきいきしてくる。
小さな小さなできごとに、心が大きくうごいてくる。その心のうごきが、きっと恋する女の子を輝かせる。だからキレイに見えるのだ。
どきどき、わくわく、甘く、せつなく……。
ときめく女の子にであうと、いつも大切なことを思いださされる。
もしかして、それが恋じゃなくっても、私もふたたび冒険へと旅だちたくなる……。




「恋するティータイム」、いかがでしたでしょうか?
女の子なら一度はとおる、恋の悩み。
実は、自分のココロの中にヒントがかくされていたんですね。
空も、「あーそういうことだったんだなぁ」なーんて、![]()
今までの恋をふりかえって、胸がズキズキ・・・。
「○○してあげる」のこの「あげる」というのは、本当にくせもの。
「私はこうしてあげてるのに、どうしてこたえてくれないの」
っていうキモチって、恋もそうだけど、
恋だけじゃなくて、燿子センセイのおっしゃるとおり、
家族や友だちの中でも、あったのかもしれない。
これを教訓に、次の恋では、失敗しないようにがんばるぞー!
と胸に誓ったのでありました。
さてさて、話は変わりますが、
12月1日、ついに「パセリ伝説公式ホームページ」が復活します!!! 
12月11日頃発売の『パセリ伝説外伝~守り石の予言~』
について、パセリ伝説プロジェクト(Pプロ)のスタッフたちが、
なにやら楽しい企画をたくさん考えているみたいですよ。
お楽しみにね☆
そこで、今年の夏のパセリサイト再開のときと同じように、
12月1日からのパセリサイト再開にともない、
このブログ“ポーラスターをめざして”のコメント欄の公開を
多少制限することになりました。
コメント欄へのカキコミは、記事への感想、燿子センセイやPプロへの
感想や質問だけに限らせていただきますね。
次回の更新は、年明けの2011年になります☆
記事を読んでみての感想を送りたい方は・・・
ここのコメント欄でいろんな人と語り合えますよ☆
小中学生だけじゃなく、高校生、大学生、大人の方も、いつでもウェルカムです!
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