倉橋燿子のスマイルカフェ: 2010年11月バックナンバー
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皆さん、お久しぶりでーす!
管理人の空です☆
最近とーーーってもうれしいことは、みなさんからの燿子センセイへのお手紙♪
燿子センセイのお誕生日(11月11日)があったこともあり、今もぞくぞくと届いていまーす!![]()
一枚一枚のお手紙やメールには、
「パセリ伝説の校歌」をつくって、詩と楽譜を書いてくれていたり、
お友だちとのことでの相談だったり、
誕生日を記念して、とってもかわいいパセリのイラストを描いてきてくれたり、
とにかく、あったかで、かわいらしくて、個性があふれでてるものでいっぱいでした。
みなさん、本当にありがとう!!
燿子センセイは、大感激で、ティッシュの箱を抱えながら読んでくださってましたよ![]()
さてさて、
11月から始まった、『スマイルカフェ』は、楽しんでもらえてますか~?
第1回は「夢見るティータイム」![]()
これを読めば、だれもが燿子センセイの夢見る姿に元気をもらって、
「自分も、夢にむかって一直線に生きようー!」
なんて、ウキウキワクワクする気持ちになれちゃう、
そんな不思議なお話がいっぱいです☆
まだ読んでいない方は、第1回目のコチラをどうぞ☆ ⇒![]()

さてさて、第2回は、「恋するティータイム」。
燿子センセイの小気味の良いテンポと力強さが、爽快です!
思わずムクムクと恋したい気持ちが湧いてきちゃいますよ。
そして、恋する切なさをジーンと味わいながら、
自分の心が洗われていくような、
これまた不思議な物語がどんどん展開していきます☆
恋している人、恋したい人、そして今はまだ恋していない人も、
ぜひ読んでみてくださいね♪







恋をするとキレイになるという。![]()
そりゃあそうだ。自分のことを考えてみても、恋をしている時ほど
心やさしく、すなおで、いじらしい気持ちになることはほかにない。
たとえ相手がふりむいてくれなくても、いや自分のことを知ることさえなくても、
昼も夜もその人のことを考え、せつない思いに涙までうかべ、
見てもくれなくても身だしなみに気をつかい、相手のすべての幸せをいのる。
こんなことが、恋以外にあるだろうか。さとりでもひらかないかぎりむりな気がする。
私は片思いの男の子にチョコレートをわたすだけのために、寒いさなかの二月十四日、
駅で四時間以上もまちつづけたことがあったけれど、たとえ手はかじかみ、
足にシモヤケのひとつでもできようとも、相手をうらむ気持ちなんて、おこるはずもない。
相手がチラリとでもこっちを見、笑みでもうかべようものなら、それこそ天にものぼる幸せだ。ほんの一瞬のことなのに、まさにこの日のためにこそ、自分は生まれてきたのだと
うっとりと思ったり……。![]()
先日のこと。
私はバスをまつため、バス停にたっていた。
私のほかには、おばあちゃんと中学生ぐらいの男の子だった。
見ず知らずの三人は、それぞれの思いや目的をいだいて、
静かにバスをまっていたのだけれど、
そこに突然、おさげにした制服姿の女の子が息せききってかけてきた。
「○○センパイ!」
女の子は、ふりしぼるような声で男の子の名まえをよんだ。
私もおばあちゃんも、好奇心にたえかねて、その女の子のことを見つめてしまう。
彼女はそんな私たちのことなど目にはいらぬように、目に力をこめると、
「好きだったんです。ずっと、センパイのこと……」
胸の中にためこんでいたものを、いっきにはきだすようにいった。![]()
男の子は小さな声で、
「えっ!?」
というと、私とおばあちゃんのほうへと目をむけたので、私たちは思わず目をそらせた。
「私、ひっこしするんです。だから、どうしてもセンパイに“さよなら”いいたくて。
センパイは私のこと知らないと思うけど、私、やっぱり“さよなら”っていいたくて」
女の子の顔をぬすみ見すると、女の子の目からは大つぶの涙がホロホロとこぼれている。
私とおばあちゃんは、なぜかしら顔を見あわせた。
そしてバスのやってくる方向をのぞき見る。どうかまだ、バスがきませんように。
もう少しこの女の子に、思いをつげる時間をあげてください。
たぶん、私もおばあちゃんも、心の中でそういのっていたと思う。![]()
女の子は、涙をぬぐいもせず、「コレッ」といって、手紙をさしだした。
男の子は、だまってそれをうけとると、テレたようにうつむいてしまう。
私は気が気ではなかった。
せめてひとことでいいから、女の子に何かいってやってくれっと、
おせっかいなオバサン的気分がむくむくとわいてくる。
「元気で」とか、「がんばれよ」とか、それくらいいえるだろうと、
男の子の頭のひとつもこづきたくなる。
けれども彼は何もいわない。
気まずい沈黙がながれ、男の子はかたまったまま、女の子は涙をながしながら、
私とおばあちゃんはイライラしながら、バス停での数分はすぎてゆく。
そこに、バスが近づく音がした。
私たちは全員、ハッとバスのほうに顔をむける。
女の子は、これが最後というように、身体全部の思いを瞳にこめて男の子を見つめると、
「さようなら、センパイ」
女の子は、もうほとんど泣き声でわかれの言葉を口にした。
私は男の子のほうをにらむように見ていた。
いっしょにいたおばあちゃんもじーっと責めるように彼を見つめている。
ふたりのさすような視線を感じたのか、男の子は、
「手紙、読むから」
とぼそぼそとした声で、ついにいった。
私とおばあちゃんは、ホッとしたようにバスに乗りこむ。
バスの中で男の子は、放心状態のようなボーッとした顔で窓の外をながめていた。
手にはわたされた手紙が、そのままにぎりしめられている。
男の子が今、窓の外に見ているものは、
きっと突撃するようにあらわれた必死の女の子の姿だろうと思った。![]()
私は女の子のながした大つぶの涙が、とてもとてもうらやましかった。
もちろん、彼女にとっては悲しいできごとだったかもしれない。
大好きなセンパイとはなればなれになってしまうのだから。
けれど、あれほどキレイな涙は、そんなにいくどもながせるものじゃない。
せつなく、悲しく、精いっぱいの、ぎりぎりの思いがながさせた涙。
恋すればこその涙。
センパイである男の子の胸の奥深くに、その涙のしずくが、
きっときっととどいただろうと思う。
そして、時おり、窓をたたく雨音のように、そっと男の子の胸をたたくのだろう。
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恋したら、告白すべきかどうか、それがいちばんのなやみだ。
私は絶対に告白すべきだとは思わない。
告白しても、しなくても、恋は恋。
恋する気持ちが大切なのだと思う。私は、そのどちらの経験もある。
片思いのままおわった恋。告白して失恋した恋。告白して成功した恋。
いちおう、すべて味わっている。そして、そのどれもがみんなよい体験だった。![]()
ただ、少しでも相手のことを知りたい、相手に近づきたいと思うなら、
恋は能動的な行為なしでははじまらない。
自分は何もしないのに、どういうわけだかむこうのほうが自分に気づいてくれ、
恋してくれ、告白してくれるっていうのは、物語の中の話だと思っていたほうがいい。
もちろん、そういうこともないとはかぎらないけど、はじめっからそれを期待するのは、
ずいぶん横着な恋だ。
能動的な行為というと、すぐに告白、そして電話か手紙、
もしくは友だちをメッセンジャーにするということが頭にうかぶけど、
もうひとつ大切なことがある。
それは、“見つめる”という行為。
“目は口ほどにものをいう”ということわざがあるけれど、時には、口以上に思いを
あらわす。恋する思いのこもった瞳は、必ずや相手の身体をつきさす矢となるのだ。
いく日もいく日も見つめる瞳は、どんな告白方法より、時には威力を発揮する。
思いは、静かにふかくつたわってゆく。
私としては、友だちをメッセンジャーにするというやり方は、
あまり好きじゃない。私自身、何度かメッセンジャーになった経験からして、
あまり効果があるとは思えないのだ。
伝えられた男の子のほうにしても、はずかしいと思う。
「○○ちゃん、あなたのことが好きなんだって」
って友だちである女の子からいわれて、![]()
「じつは、おれも好きなんだよ」
って答える男の子はまずいないと思う。
第一、それではこちらの誠意がつたわらない。
“好き”という思いは、自分だけのものであって、どんなに友だちであっても、
他人が代弁できるものじゃない。
魚心あれば水心というけれど、こちらの思いがつたわってこそ、相手だって意識しはじめるのだ。
だから思いをつたえるということは、そこで即座に相手が好きかどうかの答えを
もとめることではなく、まずは自分の存在と気持ちを知らせることで、
はじめてスタート地点にたつわけだ。
告白イコールYESかNOなんて、あせりすぎ。
そのためにも瞳のアピールは、時間はかかっても、とても効果的。
あせらず、ゆっくり、じっくり、時をまつ。
何から何までフル回転でまわっている時代で、そんなのトロイといわれるかもしれないけれど、他人と他人、しかも男の子と女の子が恋という名のもとに近づこうとするのだ。
心が熟してゆく時間は必要だと思う。
その時間の中で、自分の気持ちもじっくり見つめる。
どうして彼のことが好きなんだろう。特にハンサムでもない。
決してやさしそうにも見えない。それなのに……。
そこでハッと思いあたる。自分は彼のどこがいちばん好きかといえば、
野球部で暗くなるまで練習している姿だ。
あの一所懸命な、そして負けん気いっぱいの顔……。
っということは、自分は彼の一所懸命がんばっているところに魅かれている。
それなら、自分もそんなふうにがんばっているだろうか。
いや、そうでもない。けっこういいかげんに毎日をすごしている。
昨日だって、そうじ当番の時、友だちとくちゃくちゃしゃべってばかりで、
ほとんどそうじらしきことはしなかった。
そういえば、部活だって、早く帰りたい一心で、帰宅部といわれるクラブをえらんでいる
ではないの。![]()
こんな私……。
彼は好きになってくれるだろうか。
いや、これからだっておそくない。がんばろう!!
なーんてぐあいにはいかないかもしれないけれど、ともかく恋した時は、自分のことも
よく見えてくる。
積極的なタイプだと思っていた自分が、意外にも恋には臆病だったこと。
友だちとおなじ人を好きになり、友だちのことをきらいになっちゃいそうになったこと。
失恋しちゃって、きずつくことがどうしてもこわいこと。
私もかつて、友だちとおなじ人を好きになったことがあった。
(恋するティータイム Part2へ つづく)![]()
『第2回 恋するティータイム Part1』は、いかがでしたか~?
この先が、気になるところですよねっ。
次回は来週更新しますので、もうしばらくお待ちくださいね☆
燿子センセイも本の中に書いていましたが、
“恋は能動的な行為なしでははじまらない。
告白するという行為のほかに、
もうひとつ大切なことは、“見つめる”という行為だ“と。
その言葉に、私はとっても納得しました。
恋をしたら、自分のこともよく分かるようになる。
じっくりと自分の心を見つめる時間が、女の子をキレイにするのでしょうか?
ということで、来週の更新までの一週間、
さっそく“見つめる”にチャレンジしてみようと思います。
そして、女子力アップ! 恋して見つめてバンバンキレイになっちゃおー☆
では、来週はPart2をお届けします。お楽しみに♪
読んでみての感想を送りたい方は・・・
ここのコメント欄でいろんな人と語り合えますよ☆
小中学生だけじゃなく、高校生、大学生、大人の方も、いつでもウェルカムです!
コメントを書き込んだり、読んだりする場合は
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青い鳥文庫 倉橋燿子先生
皆さ~ん、こんにちは!
管理人の海です。


昨日は、われらが燿子センセイのお誕生日でしたっ!
コメントやパセリ伝説HPのメールBOXから、
お祝いのメッセージを送ってくれた皆さん、ほんとうにありがとうございました!!
コメント欄の常連さんはもちろん、懐かしいメンバーの名前もあって、
燿子センセイも「毎年毎年、こんなにお祝いしてもらえるなんて、
なんて私は幸せ者なのかしら・・・。本当に嬉しい!」と感動していましたよ~☆
本当は、ここでお礼の一言をお伝えできればと思うのですが、
燿子センセイは今まさに、
『魔女の診療所』第1巻の執筆のまっ最中なのです。
お祝いメッセージをもらって、「みんなに楽しんでもらえる
物語にしなくっちゃね!」とパワーアップしてますよ~!
書きあがったら、ここに登場しますので、
それまでもう少し待っていてくださいねっ!
春に出る『魔女の診療所』をどうぞ、お楽しみに~!![]()
※『魔女の診療所』の短編 好評発売中!
『おもしろい話が読みたい ~マジカル編~』に載っているよ☆

さて、前回から始まった「倉橋燿子のスマイルカフェ」、いかがでしたか~?
さっそく「新しいコーナー、とっても楽しみです☆」という声もぞくぞく!
嬉しい&早く続きを載せたい気持ちでいっぱいです!
スマイルカフェには、燿子センセイの体験談が満載♪
今回は「夢見るティータイム Part2」です。
Part1の終わりは「ただひとつのことだけは“どうせの私”になっていた時期があった」
という話になっていましたが、さて、そのただひとつのこととは、いったい・・・?
さっそく、読んでみてくださいねー!![]()
※「夢見るティータイム Part1」をまだ読んでいない!という人は、
← コチラに記事がありますので
Part1を読んでから、Part2に進んでくださいね!

私は小学生のころ、体育が大の苦手だった。 ![]()
かけっこは、いつもビリ。しかもぶっちぎりのドンジリだった。
鉄棒や飛び箱、マット運動関係もすべてダメ。
体育の先生もサジをなげるほどの運動オンチなのだった。
だから、こと運動に関することにかぎり、私はいつもしりごみをし、
「どうせ私なんてできないんだもん」と、みじめにいじけていた。
そのいじけは、ひくつにまで発展し、体育の時間ははじめっからダラダラと
わざとにぶいうごきをし、準備体操の時も身体をうごかすフリだけしていた。

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こんな私だから、クラスのみんなも体育の時間には
私などいないかのように接するので、ボールゲームなどで私のところに
ボールがまわってくることなど、まったくなかった。
通知表での体育の評価は、たしか2だったように思う。
もしかしたら、最悪の1だったかもしれない。
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ところが悪夢のようなできごとが企画されてしまった。
学芸発表会で、わがクラスの発表は飛び箱とマット運動をやると
先生がいいだしたのだ。講堂のステージのうえ、全校生徒や父母、来客の前で、
ひとりひとりが“飛びこみ前転”とかいう、私にとってはウルトラC以上の
超むずかしい芸をやってみせるという。
飛びこみ前転(正確な名まえかどうかわからない)というのは、飛び箱の前で
ドンとはずみをつけて飛び箱を飛びこし、頭からマットへとおちてゆく。
そしてマットの上で、ぐるりと一回転するという体操で、
とうじの私は、想像しただけでふるえあがるほどのことだった。![]()
体育の時間、コレをする時は、飛び箱の前までくると。
「私、できませーん」
と、ほとんど泣きだしそうな声でいい、先生も数回トライさせてはみたが、
私のあまりのにぶさに、とうとうあきらめてしまったという経緯がある。
「あんなのカンタンだよな」
「どうせなら、平均台とかも取りいれればいいのに」
などと自信ありげにわめくクラスメイトをしりめに、私は言うまでもなく青ざめていた。
もう私の人生もおわりだと失意と絶望の中で言葉もない。![]()
そのころ、私は一年上に片思いの先輩がいた。
他のだれの前ではじをかいてもまだガマンできるが、
彼の前にブザマな姿をさらすことを考えると、死んだほうがいいとさえ思った。
私の飛び箱およびマットときたら、おしりだけがどうしてもあがらず、
ぴょんぴょんするので、男子たちからは「燿子のしり踊り」とからかわれているのだ。
もうこうなったら、当日は休むしかない。仮病でも何でもつかって欠席するっきゃない。
そう心にきめた時、私の心理を見とおしていたらしい先生は、
「休んじゃダメだぞ」
とわざわざ忠告した。もう神も仏もありゃしない。
どうせ私なんて、どうせ私なんて・・・。
![]()
しかしメソメソしてばかりもいられなかった。学芸会はせまっている。
恋する先輩の前で、死んでも“しり踊り”は見せたくないっ。
その一念で、私は燃えた。
学校から帰ると、部屋いっぱいにフトンをしいた。マットのかわりだった。
そして飛び箱がわりにエレクトーンの細長く背の高いいすをおいた。
そのいすのうえにあたってもいたくないようにフトンをかぶせ、
ひそかに特訓をはじめたのだった。
体育はなぜか得意だった兄が、まず見本演技をやって見せてくれた。
父や母はたしか、いすがたおれないように手でしっかりとおさえてくれていたと思う。
家族の協力をえて、私はくる日もくる日も練習をくりかえす。
まさにスポ根ドラマを地でゆく毎日だった。スポ根ドラマのテーマソングでもきこえてきそうだ。
そしてスポ根ドラマにありがちな結末のように、
私は学芸会の前日、みごとに飛べるようになったのだ。
ほんとに自分の身体が、フトンつきいすのうえを飛びこえた時は
信じられなくて、「今、飛んだ? ほんとに飛んだ?」
と、しつこいくらいに家族にたしかめた。
そして飛べたことが事実だとわかった時、私はこれまたスポ根ドラマのヒロインのように、
ぽたぽたと涙をおとし、家族と手をとりあって喜んだものだった。
ところがざんねんなことに、学芸会の日、恋する先輩は欠席していたということが、
あとでわかり、ガク然とした。
せっかく飛べたのに・・・。生まれてはじめて飛べたのに・・・。
もちろん、むこうは私のことなど知らないから、私が飛ぼうが飛ぶまいが、
まったく関係ないことではあったのだけれど。![]()
この体験は私に“やればできるのだ”という、
もっとも単純明快な人生の意味を教え、中学、高校とつねにリレーの選手に
えらばれるという信じられない奇跡をおこしてしまった。
![]()
私の夢見る能力が、もしかして私の唯一のとりえであるとしたら、
それはこの体験にもとづいているのかもしれない。
“やればできる”“望めばかなう”“がんばれば結果はついてくる”
――こうした言葉のもつ力を、私は身体をはって理解したのだと思う。
“どうせ私なんて”と思ってすごすことが、自分にとっていかにソンであるか。
そしてさまざまな可能性の芽をどれほど自分でつぶしていることか・・・。
とはいえ、根はぐーたらな私のこと。
いつもいつも燃えてるわけでは、もちろんない。
いつもはむしろ、ほとんど半分ねむっているように、
ぐずぐずと毎日をすごしているだけだ。
だから、ここぞという時自分をむりにおしだしていくことが大切だ。
ねむい目をこじあけ、重い腰をよいしょと持ちあげ、ほおをピチャピチャとひっぱたいて、
やっとのことで一歩をふみだす。![]()
そしてこの一歩こそ、私にとって夢見ること。夢に近づくことなのだった。
~「夢見るティータイム」おわり~
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夢見るティータイム Part2は、いかがでしたか~??
私も、小さい頃から体育や運動会が嫌いだったので、
なんだか、とーっても親近感がわいちゃいました!
「やればできる」
出来ないと決めつけないで、やってみなくちゃ分からないってことなんだなあ
としみじみ。それが、夢に一歩近づくことなんですねっ!![]()

よーし、私も失敗をこわがって、いつも苦手なことを避けちゃうけど、
「やればできる」で、一歩を踏み出してみようっと!
「夢見るティータイム」を読んでのみんなの感想も待ってるよ~☆
コメントでも、メールでも、書きやすい方法で送ってくださいね!
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さて次回のテーマは… ![]()
「恋のティータイム」です!
みんなは、今、恋をしているのかな?!
ドキドキしたり、涙を流したり、
「恋」と聞くだけで、いろんな想像が広がっちゃう!
燿子センセイからいったいどんな恋のお話が飛び出すか、
次回の更新を楽しみに待っててね!
パセリ伝説公式サイト TOP はコチラ

みなさん、こんにちは!管理人の海です。
すっかり更新が遅くなってしまってゴメンなさい!
あっという間に秋も深まって、燿子センセイのお家近くの公園の木も
だんだんと黄色や赤の葉っぱに変わってきました!
あんなに「暑いよ~!」と言っていたのに、今では夏が懐かし~い(苦笑)。
さて、みなさん!
今日から、このブログで「倉橋燿子のスマイルカフェ」がスタートしまーす!
“スマイルカフェ”というタイトルは、“笑顔のカフェ”という意味です。
私たちはもちろん、読者のみんなも、まわりの人たちも
燿子センセイに会うと、みんな元気になって、笑顔になっていくところから
イメージしました。
燿子センセイのもとには、
読者のみんなからの相談のお手紙やメールがたくさん届きます。![]()
たとえば、友だちにいじめられた、仲間はずれにされた、
将来何になったらいいかわからない、好きな人がいるけど私なんてダメ、
両親が受験でうるさい、などなど切実な悩みを抱えていて、
燿子センセイも管理人の空も私も、なんとか力になりたいと思いつつ、
全部には応えきれないもどかしさを抱えています。
そんなとき、本棚を整理していて手に取った本、それが、『泣いてもいいよ!』
ポプラ社から出ている、燿子センセイの本です。
読み直してみて、ビックリ!!
「まるで、燿子センセイと話しているみたい!」
そうなんです。この本を読んだら、私たちが燿子センセイといろいろお話すると、
モリモリ元気が出たり、発見があって感動するのとおんなじような気持ちに
なったんです。しかも、本の各章が「夢」や「恋」、「元気」や「勇気」など、
まさにいつもみんなから届く悩みのテーマにピッタリ!![]()
「これは、ぜひともみんなにも読んでもらいたい!」
そう思ったけれど、もうこの本は絶版になってしまっている・・・。
そこで、ブログに載せてみんなに読んでもらいたいんです!
と燿子センセイにお願いしました。
もともとの内容に少し手を加えていただいて、今日からスタートになりました。
『パセリ伝説』や『魔女の診療所』などの物語だけでは分からない
燿子センセイのステキな一面がたくさん見えること間違いなし!
きっと、みんなやみんなの友だちが抱えている悩みや相談ごとに
あてはまるところが出てくると思いますよ。![]()
第1回目の今日は、「夢見るティータイム パート1」です!
夢や願いについて、燿子センセイがご自分の体験を重ねながら
アドバイスしてくれてます!
ぜひぜひ読んでみてくださいね!
感想を楽しみに待っていまーす。




じまんじゃないが、私は夢見ることだけは得意だ。
これだけはほかのどんなことよりすぐれた能力ではないかと思う。
考えてみれば、すべては夢見ることからはじまったような気がする。![]()
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中学時代、あるアイドルの熱狂的なファンになった。
もう寝ても覚めても、彼のことしか考えられない。
部屋には、天じょうから洋服ダンスの内側まで彼のポスターをはり、
彼が出演するすべての番組を見、三十秒のCMまでかかさずチェックして、
それでもたりずに、雑誌などの切りぬき集をつくり、
そこにわざわざ彼にささげる詩までつけ、もうありったけのエネルギーで
好きになっていたような気がする。
夜など、彼のポスターの特大アップの写真を見つめながら、
「自分がもしも彼の恋人になったら・・・」
などと、かなり本気で考えていた。
そう、もしも恋人になったら、まちあわせ場所は絶対にめだたぬところにしよう。
何てったって、彼は有名人なのだし、私とデートしているところでもバレてしまったら、
スキャンダルになってしまう。それでは、彼にめいわくがかかるから・・・。
などと、まだ行ったこともない東京でのデートについて、かなり具体的に思いをはせる。
雑誌のインタビューで、食べ物の好みはギョーザ、なんて書いてあれば、
せっせとギョーザ作りを勉強し、好みの女の子は髪の長い子でやさしい子、とあれば、
髪を長くのばしはじめ、これからはだれにもやさしくしようなどと、
ひたむきな心でちかうのだった。
そして。![]()
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とうとうそのあこがれの人と対面する日がやってきたのである。
対面といっても、ただ広島でコンサートがあるだけなのだけど、
それは私にとって“対面”なのだ。
べつにむこうが私を見てくれるわけでもないのに、チケットを手にいれた日から、
何を着ていこうかと、夜もねむれぬ興奮ぶり。
父や母は、私の頭がどうかなったのではないかと、けっこう心配していたらしい。
何しろ、食べるものもノドにとおらないほどだったからだ。
「すぐにあきるにきまってるんだから」
母はいつもそういって、私の熱い心に水をさす。
「少しは勉強しないと、コンサートには行かせないから」
そう強迫したりもした。
けれども、そんな言葉がまともに耳にはいるはずもない。
ましてや勉強など手につくはずもない。
わるいことに、コンサートがおこなわれる日は、中間テストのまっ最中だった。
そしてもっとわるいことには、学校はコンサートに行くことを禁止していたのだった。
まさに花も嵐もふみこえて、私はコンサートへとでかけたのだった。![]()
けれど、このコンサート行きが、今の私の原点をつくったと、この時、だれが想像できただろうか。
私といっしょにでかけた友だちは、長い長い列の中、今にもとびだしそうな心臓をおさえながら、入場できるのをまっていた。
ところが、その列とはべつのほうにある入口では、チケットも見せずにすいすいと中に
はいっていく人たちがいた。
「どうしてどうして?! ズルイじゃんねぇ」
などと友だちと口をとがらせる私たちだったが、その入口には“マスコミ関係者入口”と
書かれた紙がはってあることに気がついた。
マスコミ関係者――その言葉は、一瞬にして私の心をとらえた。
そうなのだ。マスコミ関係者になれば、いともかんたんにあこがれの彼にあえるのだ。
あえるだけではない。話だってできる。
そして、そして、万が一にも恋が芽ばえるということだってありえない話ではないではないか。そうだ。その手があったのだ。
今となっては、コンサートのことはよくおぼえていないのだけれど、あの時そう思い、
自分もマスコミ関係者になるのだと決意したことだけはよくおぼえている。![]()
その日から、好きな彼のことを考える時は、![]()
いつもどうじにマスコミ関係者になった自分が登場することとなった。
マスコミというものについても調べはじめ、その中でも出版社かテレビ局というのが、
いちばん彼にあえる可能性が多いという結論にたっした。
そのためには、やはり四年制の大学をでることが必要とされるようだ。
これはやはり、少し勉強もしておかなくちゃいけない。
コンサートのさなかの中間テストの成績は、私はクラスの最下位。
おまけに禁止されているコンサートに行ったということで、先生からキツクしかられた。
だけど、こんなことではいけない。
こんなことではマスコミ関係者にはなれないという思いが恐怖として私におそいかかり、
私は生まれてはじめて、みずから勉強しようという意欲がわいてきたような気がする。
しかし意欲だけで、なかなか実行がともなうまでにはいたらなかったけれど・・・。![]()
そうして時はすぎ、私は高校生になった。
このころすでに彼の人気はおちていて、その人気とおなじように私の熱もさめていった。
まったくファンとは薄情なものだ。
だが彼はステキなおみやげをのこしてくれたことは事実だった。
マスコミ関係者になるという夢だけは、しっかりとのこったのだ。
おりしも東京へと修学旅行に行く機会があり、その夢はますます現実のものとなって
ふくらんでいった。
こうして私は、東京の大学に入学し、卒業後出版社ではたらき、
かぞえきれないほどの有名人にあい、話をし、恋こそ芽ばえなはしなかったけれど、
少なくとも何人か親しい友だちとなった。
そしてまた、出版社ではたらいたことがきっかけで、小説を書くなどというチャンスにも
めぐまれた。
考えてみれば、すべてはあの、コンサート会場での“マスコミ関係者”と書かれた
一枚の紙を見た時からはじまっていた。
あの文字に、どれほどあこがれ、夢見たことだろう・・・。
それは、中間テストの成績のわるさや先生からのおしかりにもかえがたい大きな収穫だった。![]()
あの日から数年の歳月がながれ、私が雑誌の記者として飛行機で大阪へむかっていた時、
私のとなりの席にすわった男性が親切にも、私の荷物を荷台へとのせてくれた。
私はその人の顔を見た時、おどろきのあまり声もでなかった。
足がガタガタとふるえ、目にはじんわりと涙がうかんでくる。
彼だったのだ。
私の部屋をその顔でうずめつくしたアイドルだった彼なのだ。
すでにオジサンになっていたけれど、昔の面影そのままに、
歌より芝居のほうでかつやくしていた。
「大ファンだったんです」
飛行機が空へとまいあがり、私の心が少しおちつきをとりもどしてきたころ、私はいった。
「あの・・・、コンサートにも行きました」
やっぱり声がふるえていた。
「もう遠い昔ですね」
彼はふかぶかとシートにもたれながら、思いをこめて答える。
私は、とうじのことを話し、今の自分の職業につくことになったきっかけをしゃべった。どうしてもお礼をいわなくてはいけないような気がしたのだ。
「少しは役に立ったんですね」
ニコニコしながら、彼はいった。
「ありがとうございました」
私はペコリと頭をさげる。長いあいだの胸のつかえがとれたような気がし、
そして今こうしてならんで腰かけている不思議を感じずにはいられなかった。![]()
読者の方からのおたよりを読んでいると、自分は将来○○になりたいと思っている。でもきっとダメですね。夢でしかないから・・・。などと書いてある手紙を時おり見つける。
もったいないなあって、私は思ってしまう。
せっかくなりたいものが見つかったのに、最初からあきらめてしまうなんて、
わざわざ蕾を自分でつみとるようなもの。
何かになりたいって思った気持ちには、ほんとはとっても大切な意味がこめられていたり
するんだと思う。ただの思いつきなんかじゃなくって、無意識だけど、
とっても自分らしさがこめられていたりする。
私の場合、マスコミ関係者という言葉に、あんなにつよく心魅かれて、
それが夢になったのは、私自身の超ミーハーさもふくめて、
やっぱり何かを表現したいという願望が、あのころからつよくあったんだという気がする。
それがめぐりめぐって、今こうして、何がしかのことを書くという仕事についている。
だからその時々の自分の気持ちは、ひとつひとつ、とっても大切にしてほしいって思う。
ちゃんと見つめれば、きっとそう感じたことの意味がわかってくる。
そうしたら、漠然とした夢が、もっともっと現実に近づいてくる。
![]()
よく夢が実現した人のことを、
「あの人はラッキーだったのよ」
というひとことでかたづけてしまう人がいる。
たしかに、ラッキーだったなって思うことはあっても、それは幸運をよびこむ何かをその人がもっていたからのこと。そしてその何かとは、夢見る気持ちと、夢を見つづける気持ちのつよさ。
そのつよさがあるから、努力もすれば、苦労にもたえられる。
そうすると、不思議にも幸運はむこうからやってきたりする。
シンデレラが王子さまに見そめられて幸せになったのは、ただの幸運なんかじゃなくて、
それまでの彼女の生き方が幸せをよびこんだのだ。
夢見ることは、言葉の甘いひびきとはうらはらに、きびしい一面ももっている。
夢とは(ねむっているあいだに見る夢はべつにして)、
いいかえれば、こうしたい・こうなりたいという願いのこと。とても積極的で能動的で意思的なもの。
そして、そういう気持ちをもつことができることは、とても幸せなことだと思う。
私だって、いくつになっても夢見る気持ちをわすれずにいたい。
最初から、デッカイ夢を、なんて思わなくてもいい。
たとえば、好きな男の子と仲よくなりたい。髪を長くのばしたい。
英語を話すことができるようになりたい。外国に行ってみたい・・・。
どんな小さなことでも、ごく身近なことでも、夢見ることはできる。
大切なのは、自分から発信する気持ちをもつこと。とってもカンタンでシンプルなこと。
でも、すべてはここからはじまるのだ。![]()
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“どうせ私なんて”とよく口にだす人がいたら、今日からぜひやめましょう。
それは自分に対して、とっても失礼なことだと思う。
どうせの私も、なんての私もないのだから。
私はほかにふたりといない、たったひとりの私なのだから。
などと今ではえらそうにいっている私も、
ただひとつのことだけは“どうせの私”になっていた時期があった・・・。
~パート2へ続く~![]()
みなさん、いかがでしたかー?
中学生だった燿子センセイが、とってもリアル!
燿子センセイと自分の似たところがたくさん見つかって
親近感がわいてしまいました。
そして、小さいことでも「こうしたい!」と思うことをだいじにしよう!と改めて思いました。
それにしても、“どうせの私”の燿子先生は、
いったいどんな様子だったのか、気になります!!
この続きのパート2は、来週末に更新予定です。
楽しみにしていてくださいね!
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